2012年05月28日 23:23
今頃感が非常に強いのですが、当時の議事録がないので、いくらでも責任逃れと言い訳ができる。
おそらく、責任転嫁合戦に終始して何も判明せず、真相は闇の中に葬られてしまうことでしょう。
【菅前首相聴取】真相解明どこまで 現場介入・緊急事態宣言遅れ…(MSN産経ニュースより)
首相のリーダーシップは事故にどう影響したのか-。これまでに報告書をまとめた他の事故調では、評価に差異がみられ、政府、東電の各事故調では明確な言及を避ける一方、民間事故調は「混乱や摩擦の原因になった」と資質に疑問を突きつけた。今回、初めて菅前首相を聴取した国会事故調。来月まとめる報告書では、聴取結果をどう受け止め、真相に迫るのか注目される。(原子力取材班)
事故直後の官邸のやりとりは最大の焦点だ。政府事故調は「官邸内の連携が不十分だった」と記述するにとどめたが、民間事故調は「稚拙で泥縄的な危機管理」と酷評した。こうした危うさを抱えたまま強行されたのが、昨年3月12日早朝の菅氏の福島第1原発視察だ。民間事故調が「現場関与が深まっていく原動力になった」と指摘するように、作業現場への“政治主導”が強まる。
この状況について、政府事故調は、視察が現場の復旧作業の負担になった可能性を示唆した。民間事故調も「絶対に後から批判される」と枝野幸男官房長官(当時)が反対するシーンを描いた。
一方、東電事故調は「視察により、ベント実施作業が遅れたということはない」と、菅氏に“配慮”した記述となっている。
菅氏の視察をはじめとする官邸の現場介入には批判が強い。だが、菅氏が主導した3月15日の政府・東電対策統合本部の設置は一定の評価を得ている。
がれきの処理が遅々として進まない現状を見てもそうですが、何はともあれ、内閣が「あれ」だったことが最大の問題であり、最大に近い不幸だったかと。
----------
こちらにも参加中→→→




- 関連記事
-
- あまりにも妥当すぎた一兵卒の説得失敗
- 責任逃れの言い訳合戦に終始する事故調査委員会
- 名古屋では932年ぶりの金環日食
コメント
コメントの投稿